宮沢賢治よりトシあて
(新校本宮沢賢治全集より)
 荻田栄治さんは県内有数の切手収集家である。すでに国内で発行された切手約3千点の98%を収集し終わっている。
  「切手を集めているうちに、『郵便』そのものにも興味を持ち始めました」
 栄治さんは、旧江刺郡の郵便事業について調査した資料と研究をまとめ、昭和55年に『江刺の郵便誌』を出版している。「近代郵便が始まったのは明治5年で、岩谷堂局(現江刺局)は明治7年に開局されています。水沢郵便局には、明治9年頃の配達部数を記録した資料が残っています。その頃、岩谷堂局と水沢局のやりとりは、2日に1回行われていましたが、わずか20通くらいだったようです。配達先も役場、学校、薬局、お寺などに限られていました。当時は親戚といっても近くにしかいなくて、手紙を出す必要がなかったんだと思いますね」
 さらに栄治さんは、「昔の郵便物は一体何で運んだんだろうか」と疑問を抱いたことから、郵便物の輸送方法や橋の歴史にも関心を持つ。 「当時の交通機関を調べていて、そこで『トテ馬車』に出会ったんです。トテ馬車では郵便物を運ばなかったようですが」 「トテ馬車」とは、乗合鉄道馬車のことである。「トテ」は、馬車の御者が吹き鳴らすラッパの音から付けられたもの。このあたりでは、大正5年から岩谷堂―水沢間に線路が引かれ、運行されていた。
 このトテ馬車の存在が、栄治さんが交通史の研究を始めるきっかけとなった。昭和61年、栄治さんは岩手県内の鉄道馬車の歴史をまとめた『岩手のトテ馬車』を刊行した。この本も往時の岩手の交通、運輸の状況を追った貴重な記録である。
 近頃は手紙を書く人がめっきり少なくなった。手紙が果たしていた役目を今は電話やファックスで済ませてしまう。栄治さんは、この風潮を口惜しがる。
「昔の人たちは手紙をとても大切にし、大事にとっておいたものです。近年はそれも家を建て替えるときに捨てられてしまいます。残念です。手紙は自筆が残り、あとから読み返せます。匂いも残るかもしれません。自筆の手紙こそ一番思いや温かさが伝わるんですけれどね」 最近はワープロ打ちの手紙が多い。確かにその人が触った紙かもしれないが、個人的な礼状にワープロでは失礼にあたることもある。 「せめて署名だけでも、自筆でしてほしいですね」
 挨拶状をたくさん印刷しなければならない場合、名前の部分だけでも自筆のサインを活かした印刷にする―。そんなはからいがあれば、充分受け手の心を和ませることができるのではないでしょうか、と栄治さんは言う。(平成10年2月 記)

北日本相互銀行(現・北日本銀行)
のサービスマッチのラベルより


郷土史シリーズ・風間 完

◎荻田栄治さんのプロフィール◎
郷土の近代通信交通史を研究している
特別養護老人ホーム聖愛園勤務 江刺市舘山在住
◎荻田栄治さんの著作◎
「岩手のトテ馬車」A5判264頁
(昭和61年11月刊行)
「江刺の郵便誌」B5判122頁
(昭和55年8月刊行)
いずれも(有)江刺プリント社印刷・製本
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