■追悼 菊池久(前同窓会東京支部長)平成21年4月30日逝去
菊池久

 昨年四月三十日、同窓生で政治評論家の菊池久さんが亡くなった。長い闘病生活を経ての慢性心不全による。享年七十七歳。
 葬儀が広瀬の西光寺で行われ、縁者、同級生らが多く参列。同窓会から前会長の小野田徹朗さん、現会長若生史明さんが参列した。
 広瀬の中心部から寺に行く道の両側にマーガレットの花が盛りだった。これは地元の人たちが、花の終わるまでは刈らずに残して置くものなのだろう。心にしみる久兄の故郷の景であった。この花はキク科、私は兄の姓に通じることを思いながら道を辿って行った。
 寺もまた精舎にふさわしい浄らかなたたずまいであった。
 兄はすぐれた文筆の人であり、政治評論家だった。岩高時代、県立図書館の懸賞論文「未来の図書館」高校の部で一位入賞。さらに岩手日報社公募の「一九五一年の岩手に何を望むか」の論文で入賞。編集局長に認められ見習い記者となる。月給は高校生としては破格の四五〇〇円。その上、校内では生徒会の副会長・会長、新聞の編集長として活動を続けた。卒業後は将来を考えて記者を辞め、石渕ダムの建設作業員になる。やがて明治大学政治学科に入学。卒業後読売新聞社の記者として活躍。のち、政治評論家として独立。著書が多い。
 以前、原稿の執筆について尋ねた時、書き直しはしないとの返事に驚いたことがある。もちろんわが身に比べてのことである。今改めて著書の文章を見るに、鑿の跡を見せない練達の文体がそこにあって、感嘆している。
 筆名のひとつに青谷和久がある。兄の生地は広瀬の平。青谷はすぐ隣の地名であり、ルーツとふるさとへの思いがにじむ。
(文責 佐々木匡 普通科第4回生・旧職員)

 
 ■追悼 菅原昭平(前岩農同窓会長)平成21年7月3日逝去
菊池久

 元同窓会長菅原昭平氏は、昨年の六月頃体調を崩され入院して居られましたが肺炎を併発し、七月三日ご逝去なさいました。
 昭平氏は岩農・林業科第一回卒業生で、昭和二十二年八月十六日に岩谷堂農林学校同窓会創設に関わったお一人であります。学制改革によって校名は何回か変わりましたが、二代、六代、七代の三回、通算五年五ヶ月にわたって同窓会長を務められました。
 岩農同窓会は、学制改革や学校統合、分離などと共に複雑な変遷をたどりました。
 会長の任期中だけを見ても、昭和三十五年には定時制課程が江刺高校として独立。三十八年には農業部が分離独立して岩谷堂農業高等学校となり、翌年四月には農林高等学校と校名変更するなど、めまぐるしく変わりました。それに対応するだけでも大変なご苦労をなさったことだろうと思います。
 困難な時にあたり学校と連携して同窓会の円滑な運営と発展にご貢献頂きましたことに感謝申し上げますとともに、心からご逝去を悼みご冥福をお祈り申し上げます。
(文責 伊藤忠雄 同窓会顧問・旧岩農同窓会長)