昨年四月三十日、同窓生で政治評論家の菊池久さんが亡くなった。長い闘病生活を経ての慢性心不全による。享年七十七歳。
葬儀が広瀬の西光寺で行われ、縁者、同級生らが多く参列。同窓会から前会長の小野田徹朗さん、現会長若生史明さんが参列した。
広瀬の中心部から寺に行く道の両側にマーガレットの花が盛りだった。これは地元の人たちが、花の終わるまでは刈らずに残して置くものなのだろう。心にしみる久兄の故郷の景であった。この花はキク科、私は兄の姓に通じることを思いながら道を辿って行った。
寺もまた精舎にふさわしい浄らかなたたずまいであった。
兄はすぐれた文筆の人であり、政治評論家だった。岩高時代、県立図書館の懸賞論文「未来の図書館」高校の部で一位入賞。さらに岩手日報社公募の「一九五一年の岩手に何を望むか」の論文で入賞。編集局長に認められ見習い記者となる。月給は高校生としては破格の四五〇〇円。その上、校内では生徒会の副会長・会長、新聞の編集長として活動を続けた。卒業後は将来を考えて記者を辞め、石渕ダムの建設作業員になる。やがて明治大学政治学科に入学。卒業後読売新聞社の記者として活躍。のち、政治評論家として独立。著書が多い。
以前、原稿の執筆について尋ねた時、書き直しはしないとの返事に驚いたことがある。もちろんわが身に比べてのことである。今改めて著書の文章を見るに、鑿の跡を見せない練達の文体がそこにあって、感嘆している。
筆名のひとつに青谷和久がある。兄の生地は広瀬の平。青谷はすぐ隣の地名であり、ルーツとふるさとへの思いがにじむ。
(文責 佐々木匡 普通科第4回生・旧職員) |