詩壇史研究家
佐伯研二写真
佐伯研二写真

佐伯郁郎氏について語る佐伯研二さん
平成10年8月27日

佐伯郁郎氏の著書
佐伯郁郎氏の著書
佐伯郁郎氏

さえき いくろう

1901〜1992
昭和21年4月、岩手県庁に転任し、社会教育行政に従事。昭和20年代後半には岩手大学の厚生課長を務める。定年後は、生活学園短期大学(現・盛岡大学短期大学部)の教授として、保育科の設立と発展に貢献。
県社会福祉協議会常務理事、社会教育委員、岩手詩人クラブ初代会長等。
主に、文化、教育社会福祉の分野に尽力する。

 

大伯父は詩人で官僚

 佐伯研二さんは、現在福祉施設で働く傍ら、詩人の「佐伯郁郎」が残した戦前戦中の文学資料を調査・研究して、発表活動を行っている。盛岡市立図書館や江刺市立図書館で開催された貴重な資料の展示と、研二さんの講演は、新聞などでも大きく報道された。これまで企画展開催の都度、資料集を計六冊発行している。
佐伯郁郎氏は、研二さんの大伯父にあたる。明治三四年、江刺郡米里村人首生まれで、本名は慎一。旧制盛岡中学、早稲田大学文学部仏文科を卒業後、内務省警保局図書課に勤務。図書の検閲、出版傾向の調査、企画等を経て、戦時中は情報局情報官として時代の中枢に位置した。主に文化団体の指導と監督、出版指導など、文化・文芸関係の職務にあたった。
その一方、郁郎氏は大学時代から詩作を始め、昭和初期から、東京を舞台としての様々な文化・文学運動に参加した。その活動や内務省の仕事を通して、北原白秋、萩原朔太郎、草野心平、山本有三、小川未明ら多くの詩人や作家、児童文学者たちと公私にわたって交流を深めた。

佐伯郁郎の足跡を追って

 郁郎氏の死後、彼の所属していた同人誌が追悼号を発行した。その中で、何人かの詩人が「郁郎氏の戦時中の経歴に触れることはタブー視されていた」と書いた。「なぜなのだろう」と研二さんは疑問を抱き、関心をもった。
調べていくうちに、戦時中における詩人や作家の動向が、一般には知られていないことに気がつく。ほとんどの文化人が、国策協力への道を邁進したが、その事実については、誰もが堅く口を閉ざしたからであった。「戦争協力」という問題が我が身にふりかかることを恐れてのことだった。
実際に主導権を握ったのは、内務省と情報局だった。それは郁郎氏の経歴を指す。彼は国策協力へと導いた側に位置した人間だったのである。
研二さんは、「これだ」と思った。《タブー視》の意味が、ようやく理解できたのだった。そして、郁郎氏の足跡と同時に、彼の果たした役割を調べることによって、当時の状況が明らかになり、新たな史実がそこに発見できるのではないかと考えた。
佐伯郁郎氏の評価は、大きく二つに分かれる。国家官僚そのものだったと厳しく指摘する人がいる。しかしその反面、郁郎氏の援助で救われた詩人や作家が、少なからずいたと証言する人もいる。
おそらく「芸術と国家」、つまり「自由と統制の谷間」に位置し、苦しい選択を迫られたがゆえに、そういう事態が起こったのではないかと考えられる。
 《詩人で官僚》、彼はその特異な過去の経歴については、一切語ることなく、平成四年にこの世を去った。享年九十一歳であった。「今は、残された資料が、静かにそれらを語りかけくるようだ」と、研二さんはつぶやく。

生涯をかけて取り組むテーマ 

佐伯郁郎氏が残した膨大な資料の整理・調査を進めていくうちに、彼個人の足跡だけの問題ではないことが分かった。
「戦争と文化人」という、大きなテーマがその底に流れていることに気がつく。研二さんの心の中に、いつしか歴史の中に埋もれている真実を探ってみたいという熱い思いが芽生えてくる。
郁郎氏が亡くなった翌年の平成5年4月、研二さんは、集中して「佐伯郁郎資料」の調査・研究を進めようと考え、それまで教壇に立っていた花巻東高校を退職した。
研二さんが、教職を辞してまで、この研究に取り組もうと考えた理由は、一体何なのか。この質問に対して研二さんは「成り行きでしょうね」と微笑む。
「資料を整理し始めた頃は、手紙や色紙や詩集などの目録を作成すれば、それで役目は終わりと思っていました。しかし、特に戦時下の詩人や作家、児童文学者の動向が見え隠れしていくうちに、何となく当時の状況が見えてきたんです。しかも、郁郎がかなり重要な位置にあり、役割を果たしているんですね。それから、この時代については、あまり調べられていないことも分かったんです。偶然にもせっかく貴重な資料が残ったのだから、自分がやらなければと、それが自分の役目だと思いこんでしまったんですね」
研二さんが、生涯をかけて取り組むこれらの研究が、近代文学史、社会思想史の空白の部分を埋め、重要な研究として、いつの日か高い評価を受けることを、心から願ってやまない。

 ■PROFILE■ さえき けんじ

昭和44年3月岩谷堂高等学校卒業(普通科第20回)
花巻市在住。江刺市米里出身。
大東文化大学文学部日本文学科を卒業後、花巻東高校に国語教師として13年間勤めた。
岩高時代には、テレビドラマ『これが青春だ』に触発されて、ラグビー部創設に参加。
現在、米里の自宅には、蔵を改造して「佐伯郁郎資料室」を設けており、それらの整理・調査にあたっている。

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