宮静江 詩人

権力の陰で泣く人たちをなくしたい  ■
 菊池久さんは、広瀬中学校を卒業すると同時に、農協に就職した。だが、その仕事の内容は重い米俵を倉庫に積み上げるなどの重労働であった。身体が丈夫とはいえなかった菊池さんは一年後、過労で倒れて入院。しかし、労災認定はされなかった。
この出来事を契機に、菊池さんは権力の陰で泣く人たちを一人でもなくしたいと決意し、ジャーナリストを目指す。そして人生の目標を「生涯記者」と決める。
高校生で新聞記者を経験       ■
 しかし、中卒の資格でいきなり新聞記者になることは無理であった。最低、高卒の資格が必要だと考え、闘病生活の最中、病院を抜け出して岩高を受験。昭和二五年春、岩高普通科に入学した。
岩高に入学した菊池さんは、岩手日報が公募した「一九五一年に何を望むか」という論文に応募して入賞。このことがきっかけとなって編集長に認められ、菊池さんは高校二年のとき、岩手日報の見習い記者にスカウトされた。月給四、五○○円。高校生としては破格の待遇であった。
菊池さんは、警察回り、役場回りなどをこなして記事を執筆。当時、「学生記者」として話題になった。菊池さんは記者だけでなく、校内では生徒会長として生徒会活動を精力的に行っている。  
一貫して悪と戦う          ■
 希望を達成するのも早かったが、挫折するのも早かった。高校を卒業しても、依然菊池さんは見習い記者のまま。社の方針は、もう二年見習い期間を継続する、というものだった。菊池さんは辞表を提出し、石淵ダムの建設作業員となった。
菊池さんは、苦学しながら明治大学政治学科を卒業し、読売新聞社の記者となる。国会担当記者時代は、三木首相付きの記者をするなどして活躍。その後、独立して政治評論家となり、現在も巨悪をえぐる切れ味鋭い論評を展開している。
「私は一貫して悪いことをしている者は許せない、という気持ちで生きてきました。私の生きざまを見て、何か感じてもらってもいい。悪に向かって立ち向かう勇気のある青年が出てほしいですね」
きくち ひさし 政治評論家
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昭和28年3月岩谷堂高等学校卒業(普通科第4回)
東京都国立市在住。江刺市広瀬出身。
明治大学で政治学を学ぶ。
読売新聞の政治記者を経て、現在は政治評論家として活躍している。
菊池久総合情報事務所主宰。
『濤魂の総理 鈴木善幸』『名宰相・愚総理・悪首相』(山手書房刊)ほか著書多数。